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竹の階段

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白土三平論

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※『白土三平論』四方田犬彦(2004年2月27日発行/作品社/2400円/全347頁)

久々に『白土三平論』を本棚から取り出してきて読んだ。

数年前に試みた鉛筆での書き込みがところどころにみえる。

「なぜこんなにいい加減な本を出せるのか」、発売当時私はそんな気持ちで、この本を添削し出した。間違った箇所を丁寧にさらうことによって、この本を資料として救おうとしていた。

「四方田さんが白土三平のデータを集めている」という情報を発売の前年聞き、私はワクワクしながら何度も延期する発売日を待ちわびた。そして発売日当日、読了した本を目の前に悲しんでいた。それは本の中で繰り返し出てくる著者の「悲しみ」を理解できなかったから、といったことばかりでなく、資料的記述のいい加減さと、ある種の「攻撃」に対してであった。現代に対する自己の悲しみを白土を味方に据え語り、ノスタルジーを言葉の武器に変化させ刃のように飛んでくる。そしてインターネットや同人誌など、自分とは異なる楽しみ方をしているファンたちをとてもバカにする文章で締め括られていた。私はすぐに批判的な文章をサイトにアップしたが、こういった批判文を悲しんだ関係者の忠告により、現在では全て削除している。今思えばミイラ取りがミイラになっていたのかもしれない。

この本は白土三平を体系的に知る入門書にはなるけれども、資料として使えるものではない。実際、考察にみえる著者の含蓄や文体は素晴らしく「白土三平」に関する前知識がない人たちの評判はいいようだ。それでも近年発展著しい漫画研究の書としては受け入れられなかったようである。


この本の問題を大雑把に言うと以下の三点。

・数字の間違いがとても多い
・こじつけだらけである(時系列を無視した混沌にもなっている)
・推測のはずが、それを事実のように言い切っている

数字の間違いに関しては、P18「唐貴八〇歳」→「七九歳」という単発的な細かいものから、全体に亘る作品あとの西暦表示まで、わざとではないかというほどの量である。作品あとのカッコ内には「作品の執筆年を示す」と書かれているにもかかわらず、これが発表年であったり、発表期間であったり、間違いも多々。元テキストの執筆が数年に亘っているためか、頁によってはそのデータが古かったりしている。こじつけに関しては、あらすじを多用しているのと同様で、これによって楽しませようとしているのであろうが、作品を全て読んでいる側からみればあまりにも強引すぎている。

2001年6月22日の岡本颯子インタビューに拠るためか、白土のデビュー前の記述に関しては間違いも多い。

P20「真田村長」→「長村」
P24「現在の松代高校」→「現在の上田高校」
P28「唐貴は三平を連れて ~ 揃うことになった。」→三平と鉄二は翌年まで長野に残っている
P29『太陽を盗んだ男』→『ときめきに死す』(1984年)
P34「太郎座の瀬川拓男と李春子の三人で間借りをしていた」→原本では瀬川ではなく牧数馬

このような感じで、それ以降の記述に関しても気になったらとりあえずサイトの方を見ていただければある程度(発表されているデータに限るが)個々に修正できると思う。


もちろん著者は歴史家ではないし、私は著者が嫌いなわけではない。でもこの本はやはり受け入れ難い。

頭の中の過去、思い出、それは宇宙的で無限に素晴らしいものだ。だからこそそれを、何かを否定するために使ってはいけないと思う。当然、自身に対してもである。




※追記 → 「白土三平論」再刊について

by otherpost | 2009-05-12 07:55 | 白土作品