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竹の階段

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ワタリ

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※『ワタリ』新連載扉:雑誌『週刊少年マガジン』1965年4月25日号(講談社)より

白土三平の漫画に『ワタリ』という作品がある。雑誌『週刊少年マガジン』誌上において1965年4月25日号から1967年9月10日号にかけて連載された約40年前のもの。執筆は1965年3月10日から1967年7月29日。作品全体は三部に分けて構成されている。初出から「WHAT IS WATARI?」という副題が付いており、ミステリー仕立てになっている。

外部の何ものにも縛られない集団「ワタリ一族」に所属する老人四貫目と少年ワタリが伊賀の里に入るところから物語は始まる。四貫目は元々伊賀の里にいたことがあり、登場時怪我をしているが、その詳細は語られない。当時伊賀の里は百地藤林に分割されていた。2つの勢力は、お互い干渉せずに、各々仕事をしていたが、最近「死の掟」というものを知ってしまったということで仲間に殺される者が増えていた。みなその「死の掟」がどんなものなのかを知らず、上の命令で仕方なく仲間を殺す悲しみを抱えているのだった。ワタリは伊賀で出会った仲間と共にその謎を解明しようとする。しかし、上の命令で動く者たちの妨害で、なかなか真実にたどり着けない。妨害する者たちは、慣例通りというよりも、仕事を貰っている以上逆らえないので、仕方なく言われた通り行動するのだった。

ワタリが仲間を失い暴いた真実、その「死の掟」の内容は、両勢力を支配する上忍二人(百地三太夫藤林長門)が実は同一人物であるというもので、しかもその下の中忍二人(音羽の城戸楯岡の道順)も同一人物、さらにその中忍が陰で上忍をもあやつり、全伊賀を支配しているというものだった。謎の解決と共に、四貫目とワタリは伊賀の里を去り「ワタリ一族」のもとに帰っていく。

と、ここまでが第一部。そのように伊賀の里を2つに分割し、お互いをいがみ合わせていたのは一人の男、中忍城戸であったことが明らかになる。

支配階級のいなくなった伊賀の里では、ワタリとともに問題を解決した赤目党が先導となって、より暮らしやすい郷作りを目指していた。働いた賃金はみなに平等に分配する社会が実現したと思われた。しかし、拘束されている城戸が言う、自分は闇の領主の命令で動いていたのだと。そしてその言葉通り、どこからともなく出現した0の忍者がその超絶的な力で、赤目党員を殺していくのだった。伊賀の仲間たちは、その力を恐れ、最後まで反抗した赤目党員最後の一人オビトを自分たちの手で殺すのだった。

ワタリは変装し、兄貴分であるクズキとともに再度伊賀の里に入る。伊賀の里ではクズキがワタリに変装して行動する。苦労をし幾度倒しても、0の忍者の仮面の下の人物は催眠術で操られた仲間であるのだった。そのからくりを、ワタリはクズキの死と引き換えに知る。それは城戸による催眠術と、彼に幽閉されている老人の発明による武器であった。そして伊賀の住民が城戸に死を突きつけた時、追い詰められた城戸が狼煙を上げる。その狼煙を合図に織田信長の軍が伊賀の里に攻め入り、伊賀は全滅してしまう。城戸はそれに巻き込まれて死に、ワタリは去っていく。だがその様子を、城戸の自演であるはずの0の忍者が崖の上で笑みを浮かべ眺めていた。

と、ここまでが第二部。この時点ではワタリも、酷い男がいたものだというただ一個人の悪巧み、暴走であったのだと信じ込んでいる。

第三部は、それまでの「解決」が「序章」に過ぎなかったこと、さらに自組織内の疑心暗鬼、目に見えるものばかりが全てではなく、意識していなかったもっと大きな力の存在、といったところが示される完結編である。

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※小学館文庫『ワタリ』第4巻(1998年9月10日発行/小学館)より、0の再来とワタリ一族首領の犬三ツとの戦い

オリバー・ストーン監督の映画『プラトーン』(1986年)のエリアス軍曹が両手を上げ膝を落とし倒れる有名なシーンは、監督自身がこの『ワタリ』からヒントを得たと言っている(2006年10月5日放送『めざましテレビ』より)が、右画像の四貫目が倒れいくシーンから採ったのではないか。姫丸の最期、集団に追われるシーンもリンクする。この映画最後の重要な言葉「敵は自分の中にいる」(監督の音声解説では"who the enemy. enemy is in you."と言い直してもいる)というテーマとも重なる。ちなみにこの映画には駆け出しのジョニー・デップの出演もある。監督の他の作品では『JFK』や『7月4日に生まれて』(主演のトム・クルーズは7月3日生まれ)、近年の『ワールド・トレード・センター』が有名である。

ところでこの第三部の部分は一番重要だが、ある意味必要も無いのではないかと感じてしまう。「思想」という観点では第二部までにある要素の発展形であるし、作者の言いたいことは第二部ラストから推察することができるからだ。かつて作者が『白土三平選集』に第三部を収録しなかった理由はすでに他で書いているが、この辺の考えも含んでのことだったのではないかと私は推測している。

残余のワタリは確かにありますが、実情を申上げますと、作者が病気のため、執筆不可能になり、窮余の策として、赤目プロの方々が代作されたものです。従って、厳密な意味で白土作品とは申せないものです。選集刊行に当り、作家の良心として、先生はそれを拒否した次第です。この間の事情、ご賢察いただきたいと思います。
※『白土三平選集』第6巻(1970年7月10日発行/秋田書店)付属の小冊子より


しかし、あえて示されたこの第三部の終わり方も、私は好きだ。表面的には悪が全て残り、同志を全て失った主人公の逃避という結果だが、主人公も主人公の敵も世の中の新しい流れを自分なりに解釈した結果での行動であるという点で素直に受け入れられる。それ故に、この先の新たな展開への想像も膨らんでいく。1959年の初期作品『嵐の忍者』の左近の要素(姫丸の行動)を垣間見ることができるのも嬉しい。第三章を単体として読んだ場合も名作と思えた。

現代にも通ずる共同体論、グローバリズム精神が巧みに表現されているこの名作が、作者の代表作と呼ばれてはいないのが、その懐の深さを物語っている。こんな作品を、『カムイ伝』『カムイ外伝』などと同時期に、しかも週刊誌に連載していたということに驚嘆する。

単行本は今までに全9種発行されているが、小学館文庫版以外は全て絶版となっている。

少年マガジンコミックス『ワタリ』全7巻(1966年8月5日-1968年1月3日発行/講談社) ※雑誌形態
『白土三平選集』第14-16巻(1969年11月20日発行-1970年3月10日発行/秋田書店) ※第一部・第二部のみ
講談社コミックス『ワタリ』全7巻(1972年8月10日-1972年10月10日発行/講談社)
旧講談社漫画文庫『ワタリ』全7巻(1977年7月20日-1977年11月30日発行/講談社)
旧小学館文庫『ワタリ』全7巻(1983年10月20日-1984年10月20日発行/小学館) ※あとがき
講談社コミックススペシャル『ワタリ』全5巻(1988年4月6日-1988年8月6日発行/講談社)
小学館叢書『ワタリ』全4巻(1995年6月20日-1995年9月20日発行/小学館) ※あとがき再録
小学館文庫『ワタリ』全4巻(1998年8月10日-1998年9月10日発行/小学館) ※あとがき再録、発売中
My First BIG Special『ワタリ』全5巻(2006年8月11日-2006年12月8日発行/小学館) ※雑誌形態


以下は、文庫化にあわせ作者により付記された文章(あとがき)。

とかく人は、隠されたものを見たがるものだ。他人の私生活だとか、男なら女性の秘められた部分に、異常な関心を示す。
ところが、ふし穴ではないが、見えているが見えないものもある。草を食べる動物がある。その動物を捕える肉食動物がいる。野うさぎを食べつくしてしまえば、天敵である山猫も滅びてしまう。植物でも動物でも、死ねばさまざまの菌類が分解し、無機物へと還元してしまう。その無機物をもとにして、植物は再生する。もし、この世に菌類というものがなければ、地球は動植物の死骸に埋もれて廃虚と化していることだろう。ところが、菌類はキノコやカビをのぞけば、人の眼にふれることはない。木が倒れ家の屋根をとばされて風の存在を知り、水にもぐって空気のありがたさを知る。
だが、人はまわりをうかがう己の姿には、なかなか気づかない。
この作品をかいて久しい。その時、作中の登場人物たちも私も、見えないものを見ようとして、己らの姿を見ることが出来なかった。0はいまだに健在である。
一九八三年七月
※初出の旧小学館文庫第1巻(1983年10月20日発行/小学館)より


映像化について。東映製作の特撮実写映画『大忍術映画ワタリ』が1966年7月に公開され、現在DVD化されている。公開後、テレビ作品として続編が作られる予定だったが、映画をみて納得のいかなかった白土三平が拒否、急遽横山光輝原作のテレビ特撮時代劇『仮面の忍者赤影』(1967年4月-1968年3月放映)となった。これには『大忍術映画ワタリ』主人公ワタリ役の金子吉延が青影として出演している。アニメ『忍風カムイ外伝』(1969年4月6日-1969年9月28日放映)が終了したあとにアニメ化の企画も出されたが、企画段階で中止になっている。このパイロットフィルムはDVD『カムイ外伝・劇場版』に特典として収録されている。

映画の内容については、観ていただければわかるのだが、子供向きな内容に変えてある。『白土三平選集』第1巻(1970年12月5日発行/秋田書店)付属の小冊子に、監督であった船床定男(白土と同い年)による文章が掲載されているので、下に以前に書いたものを再録する。次は『カムイ外伝』を実写映画化したい、と言っているところが面白い。

映画「ワタリ」監督の船床定男氏による小冊子寄稿文は、1966年、脚本を持って赤目プロを訪ねたところからはじまる。自分は「白土氏の作品の大ファン」だと言った上で、意見の違いによる折衝についてこう書いている。「白土氏の主張するのは、テーマの破壊、部分的な映画的表現と原作の表現方法の違い等でした。」「前記の白土氏の主張は当然だったのですが、私達は終始その会談の中で、漫画は漫画、映画は映画と言った態度で話し合いを続行したのです。」。白土氏の主張はもっともだが、子ども映画では少しでも暗い部分を感じさせるようなことがあってはいけないという考えだという。そのように種々の問題を含んで、映画は夏休みにむけて公開された。子供たちは映画の中のワタリの行動力に拍手を送ってくれた、と書いた上で、「もちろん、白土氏にとっては、原作から遊離した個処に不満を感じられた事でしょう。映画的に安易な解決に顔をそむけられた事でしょう。でも、子供達の世界にワタリブームの風が吹き込んだことは事実なのです。」と語っている。最後に、これからの希望として、「いつか又、忍者物を、私の願いとしては、カムイ外伝(カムイは現実に現在のテレビ映画界としては表現不可能)に息をかよわせて見たい物として忍者映画の夢を追いつづけております。白土氏の自由奔放な表現と、しつっこい迄の粘りを、映画としての面白さに振り替えて、見終わった後の観客に生きる希望と、人間としての行動力の無限を感じて貰いたいものだと念じながら、今後共面白い作品を世の中に送り続けて行きたいものです。」と結んでいる。(残念なことに船床定男氏は1972年に41歳の若さで亡くなっている)

最後に新連載雑誌掲載時の紹介文。

「白土三平先生の旅行のひみつ」
新連載まんが「ワタリ」をかく白土三平先生は、新しいまんがをかくとき、よく旅に出る。しずかなところにいき、ひとりで考えると、いつもすばらしい作品がうまれるのだ。
だから先生は、ときどきぶらりといなくなる。あるときは、北海道までいってしまう。そして、その旅行中に、こまかいすじまで考え、完全なまんがにつくりあげるのだ。
「ワタリ」も、旅の中でうまれた。
先生は、これこそ忍者まんがの決定版だ、と強い自信をもっている。
※雑誌『週刊少年マガジン』1965年4月25日号(講談社)より


この作品からは、無視できない重要な要素・布石、内ゲバ解釈論など、ほかにも語りたいことがあるのだが、くどくなるので筆を置く。じつは今まで第二部以外はあまり読み返していなかったのだが、キチンと向き合ってみて、全体通しての面白さに気が付くことができた。
by otherpost | 2008-03-06 00:00 | 白土作品