竹の階段

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弓道における正しい帯、袴のつけ方

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まず帯は腰骨をおおうように三巻きし、後ろでひと結びする。
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帯の先は両方とも帯全体の上からくぐらせ、下から出し二本垂れるようにする。
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両手で袴の前をもち、左足を入れ、つぎに右足を入れる。

帯の上辺から五分(1.5cm)ほど下がったところに前袴をあてる。
※日弓連では帯の上辺に前袴をピッタリと重ねてつける。これだと武家の着付けではなくなってしまうが、能楽と同じく裾を踏むなどして前帯を多く出してしまう着崩れを考慮してのことだろう。そのため、前帯が少しみえるだけで誰かに注意されてしまうことがある(落ち込んでしまう)対策として、帯の上辺以上にまで前袴をかぶせてしまう人がいるが、それでは下腹がぽっこりしてみえてしまう。本来男女ともに前帯はちらっと見えていたほうが美しくかっこいいとされる。

前紐を後ろにまわし、左紐を上に、右紐を下にして交差し前にもってくる。

右紐は前袴の紐付から五分(1.5cm)ほど下げて左脇までまわし、左紐の上に交差する。

左右紐を持ち替えて斜めに折り返し、前部紐に重なるようにして後ろにまわす。
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紐を後ろでちょうちょ結びする。
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下がっている帯を袴の紐を巻きこむように左右にぐるぐると巻きつける。
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その真ん中に、後腰板をしっかりのせる。
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両紐を前にまわして左紐を上に右紐を下にして前紐にくぐらせ真結びにする。

紐の両端は左右の腰まで伸ばし、左右の下紐に下から挟む。
この後、日弓連の場合は紐先を後袴の内に入れる。これは紐が邪魔になるのを考慮したものと思われる(ぷらんと紐のはずれてしまう者の増加防止策か)。そのため、紐先が後袴から顔をだしてしまう場合の対策として、下紐にひとつふたつ絡めてから紐先を後袴内におさめる人も多い。

完成。


この袴のつけ方の特長としては、帯と袴の紐を後ろで絡めることで、袴を下に引っ張るなどしても着崩れにくいようになっている。また、帯の土台が背にあるため、腰椎をおおう袴腰がしっかりと腰板の役目をする。江戸時代の市井の武士はゆるく着物・帯・袴をつけていたこともあり、現代でもちょっとしたことですぐ帯が解けてしまうようにつける人がある。袴のつけ方に関しては今でも我流が多いと思うので、参考にしてほしいと思う。解説はとりあえず男性の場合のみとした。

注意点として、帯、袴をつけている間は身体ができるだけ動かないようにすること。そうでないときちんと締まらず、あとにゆるみ着崩れしやすくなる(衣をととのえる回数が増えてしまう)。そのためには、最中、足は肩幅にひらき、肩線の平衡を守りうごかさず、首はできるだけ前や下に傾けないことが望ましい。足袋は最初に履いておくこと。



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上に写真を引用した書籍「弓道」(小笠原清信/1974年11月20日発行/講談社スポーツシリーズ)について紹介する。

表紙は小笠原清忠氏(若い頃の三十一世宗家)、その後ろに鈴木謙仁氏。1982年の第7刷からの表紙は著者の小笠原清信氏(三十世宗家)に変わる。内容は弓道全般にわたるが、当時の小笠原流宗家自らが裸になり射法の動きを示すなど、視覚的にも充実した内容となっている。小笠原流の礼法をとりいれることで現代武道となった弓道である。武道であるからにはこの本に載る武家小笠原の袴のつけ方こそ、唯一間違いのない方法ととらえてもかまわないだろう。現在すでに絶版であるが、名著であるので機会があれば入手をお勧めしたい。以下は当時の全日本弓道連盟会長・中野慶吉氏による推薦文。

前々から連盟の理事会や指導委員会のあるたびに、全くの初心者、これから弓を習いはじめる人のための指導書がほしいと、つねに要望していた。全国の愛好者からも、はじめて弓をとったときから的に向かうまでの指導書ができないものかという問合せが連盟に数多くよせられている。本書の著者、小笠原氏には会うたびに、まだかまだかと請求していたのである。そういう時に、過日急に全くの初心者のための技術書を講談社から出版するという話を聞いた。重い腰をあげて自ら写真の被写体となって取り組んだという。新しい連盟への出発のとき、ことに学校弓道の普及が急務であるとき、このような出版がなされたということは、連盟として誠にありがたいことである。学校に大いに普及し、正しい弓道の普及・弓道人口の増加のために役立たせてもらいたいものである。



解説・写真は、以下の各書各項も併せて参照した。このうち、書籍「武道の礼法」は現在でも平易入手可能である。



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※「禮法教科書」下篇(小笠原清明/村田志賀/1928年8月28日発行/冨山房)P40-41

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※「姿」第3号(1960年6月30日発行/弓馬術礼法小笠原教場)P25-26

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※「小笠原流マナー」(小笠原清信/1974年5月25日発行/マイライフシリーズ29)P58-59

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※「立居振舞-舞台に立つときのために」(小笠原清信/1987年6月発行/吟濤社)P128-130

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※「武道の礼法」(小笠原清忠/2010年2月10日発行/日本武道館)P254-257










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# by otherpost | 2018-05-08 23:33 | 四巻の書 | Comments(0)

存在しない菊理媛神について

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数年前、菊理媛神(くくりひめかみ)の姿について少し調べたことがある。
その鱗片が以下のコラム。


【Celebration】菊理媛神(ククリヒメノカミ) by Umi
(意識は他物にも移るもので、この勢いを引きずり書いたのが以前の投稿であった)


そもそもみなさん菊理媛神が存在するという前提で語っているわけだから
「謎が多い女神」とか「どんな姿の神様か」という話になる。

イザナミの発した発言を指しての「菊理」という文字の研究でないと
イザナミ発言の価値がそがれてしまう。

イザナギがよくもわからない別の言葉を善しとして立ち去ることこそに
疑問をもつべきではないだろうか。

納得するは真理を得るとは無関係である。ただ納得は人を解放してくれる。
その後、「わかった気」の先入観は成長、追究を留まらせるのである。



イザナミ(媛神)の心を会得してイザナギは去った。
物語上、それだけのことであろう。

宇宙とは完全が展開している今の流れである。
記憶は常に今から今にむかい構築される。
構築をやめたとき、記憶は消える。

人間であればこの世界は人間の記憶が構築し、
それが私であれば、この世界は私の記憶からの反応が引き起こしている。
過去の遺物と定義されうるものも今あるものをもって記憶の補完となる。

その上で新たな思考反応は、流れに寄り添う。その流れが宇宙である。
この目前にあらわれている仕組みそのものである。

思い出すというのは構築する作業である。
構築をやめれば、世界は自由に輝く。

世界は流れている。彼は迷い故に諭された。
安心の中にいるものが安心を求めようか。
生死は心残し捕らわれるものではなく「在るものだ」という、
絶対死中にいる彼女の理(すじみち)たる心をうけ(ウク)て
または解釈としてその九九(最大数)の理によって
彼(イザナギ)の宇宙は解放されたのである。


これは現状独論だと思っていたが、そうでもなかったようだ。
素直な結論は、現在ウィキペディア「菊理媛神」項に追加されている以下の資料にもあった。

「垂加神道」上巻(井上哲次郎,上田萬年/1935年/春陽堂)
(ただこの資料は一部解釈に新しいキクの音を使ってしまっている)


「縁結びの神」なんていう存在の構築が助長する
とらぬたぬきのたぬざんようは無意味だというお話でした。

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※「時代別国語大辞典上代編」(澤瀉久孝/上代語辞典編修委員会/三省堂)より









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# by otherpost | 2018-04-25 22:20 | その他 | Comments(0)

縮刷言海

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※「縮刷言海」初版(大槻文彦/明治37年2月25日発行/1904年)


三種類ある『言海』のうち最もたくさん出回ったのは「小形」だろう。その小ささ、そして安さから言って、「小形」の版が最も愛されたのではないかと思う。これまで百年にわたり、何百万か、何千万かの人々が「小形」の『言海』を机辺に備え、あるいは手のひらに載せてきただろう。
※ちくま文芸文庫『言海』(2004年)解説より


小形言海という呼称もあるが、ここでは初版本の奥付にある「縮刷言海」(しゅくさつげんかい)の名で呼ぶことにする。


本棚にあると一番すごい本はなんだろうと考えたことがある。絵に描いたような、素朴な大学教授(老人!)の書斎に一番似合うような、手に取ると内側から無理なく自然と広がっていくような、そんなのにぴったりな本はなんだろう。専門書や全集、豪華な本、高価な本はすごいけれど、おおげさだし、なんだか落ち着かない。そこで恒久的な「辞書」。誰もが知っていて、しかも誰にも身近な国語辞典。日本最初の近代的な、そのうち実際に一般に広まり、これを身近にさせた一冊本「縮刷言海」。縮刷言海初版本はそういう意識をもって手に入れたものなので、自己満足以外の何ものでもないけれど、いまでは本棚がとても輝いてみえる。ぼろぼろになるんじゃないかというくらい取り出してパラパラしている。ほかの「言海」には興味はない。読んでいるのは本の内容ではなく雰囲気である。

縮刷言海の売れ行きは好調で、次の年の末には第150版を出している。内容に「カムイ(名)蝦夷語、神。カモイ。」とあるけれど、これは水木しげるの「カモイ伝」(1965年10月25日作品)がけっして間違いではないのだという証明になるのでは。などとどうでもいいことまで考えてみたり。


ちくま文芸文庫版「言海」(2004年)は、昭和6年(1931年)の縮刷言海第628刷を中心として、印刷状態の悪い部分は他の版を使用したキメラになっている。そういった次第なので、書籍のコピーには「縮刷版(明治37年)の内容をそのままの大きさで覆製」とあっても、論文の引用などとしてこの文庫版の内容をもとに「明治37年発行の小形言海によると・・」などという使い方は厳密にはしないほうがいいと思う(そういうものを今までたくさんみてきた)。どうしても明治の縮刷言海の内容記述がすぐに確実なものとして必要な場合(そんなことあるのだろうか)は、ここで明治40年(1907年)発行の第160版が読めるので参考にするとよい。ただ、もともと公的機関(裁判所)所蔵の本なのでかなりぼろぼろである。初版本になると国会図書館にもなく、ウェブ上にも公開されているものはないので、記述確認が必要な場合は必要箇所の画像をここにアップするのでご連絡いただければと思う。

縮刷言海には、もうひとまわり大きな型のものが明治42年(1909年)に発行されている(俗にいう「中形」)。昭和24年(1949年)に「小形」「中形」の発行部数を合わせた縮刷言海の第1000版(この版数はテキトウらしい)が発行されている。



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※画像は全て縮刷言海初版本から
(緑色クロス装、高さ153mm、幅52mm、奥行123mm)








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# by otherpost | 2018-04-12 21:05 | その他 | Comments(0)

弓道の原点 四巻の書

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絶版してから数年がたち、「読めない」の声が多くなりましたので電子書籍化しました。
パソコンやケイタイなら買った瞬間に読むことができます。
パソコンやタブレットでなければ文字が小さくて読みづらいかもしれません。
思い出したときにケイタイでちょこちょこ読めるかもしれません。





編著というものを読んでいただく場合、読者がかんたんに原書に触れることが出来なければならない、という愚見から、本書では江戸期の巻子など古いものにこだわらず、一般に公開されている明治期の和本を底本とするにいたりました。底本をあえて国会図書館蔵本の「11月18日発行」と記したのも、「射法訓」を漢文調や全文調(?)のものではなく一般に掲げられているものを「まえがき」に載せたのも、同じ理由によります。

この本の原書は今から数百年さかのぼったところのものなので、弓道知識をもとに弓書を語る本ではなく、仏教その他をもとにして理解する本になっております。自分の思い通りでない原文を間違いと定めることや、知る言葉に関しては言葉を費やして脱線してしまうような解しかたを否とさだめ、内容の解釈としましては全肯定を信念として訳しました。その結果、伝書内に一貫して響いている理念を浮かび上がらせること、言葉の一つ一つを平等によみがえらせることができたのではないかと思っています。

刊行後、ある先生にかっての底本(関口源太編)批判の記事をみせていただき、「批判されている部分はきれいにクリアされていますね」というありがたいお言葉もいただきました。また、拙著を読んでいただいた方から「表紙が弓道らしくないのはどうか」といったお言葉をいただきましたので、今回は表紙を弓道調にしてみました。「一部の人しか手を出さないタイトルだ」とも助言を受けましたので、サブタイトルを先に出しました。


せっかくなので以前書いたままぷかぷかしていた雑文を以下にまとめてさらしてしまおうと思います。

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◆「引く矢束」「引かぬ矢束」「ただ矢束」について

人間にかぎらず、いきものは自らの価値観を確認せんがために、複数あればそのうちの一つを選び出したくなるが、もちろん『四巻の書』はそのような先入観構築のためにものされてはいない。私たちはただ、自らに植えつけた先入観をもとに反応しているにすぎず、この書が自我による判断などという迷いの根源に寄り添い語りかけるはずもない。ただしく楔とする「引く矢束」(つめ)、素直な結果としてたまわる「引かぬ矢束」(のび)、そしてその兼ね合いとしての浮世「ただ矢束」。この3つの間に優劣をみてしまったならば、それはただの文字になってしまう。『四巻の書』は、修行の中にいる私たちが永遠に宿しつづける箴言を、つづり授くのみである。

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◆「押大目、引三分の一」について

大目というのは仏教的には「全てを平等にみる目」のことで、これは拙書籍の解説内でも述べた。また、同じく解説内で述べたことに「三界」がある。仏教語の「三界」は、欲界(欲望の世界)、色界(物質的現象世界)、無色界(精神的抽象世界)、といった三つの世界の総称で、「この世のすべて」を意味する。これに則って『四巻の書』では大身体を「三体」、修行における罹患を「三病」と表現している。さて、そういった意味で「引三分の一」というのは、はたして「三分の二」と相対とされる言葉であろうか。私はそうは思えない。私は吉見順正という人は仏教的な素養は(少なくとも「射法訓」を綴った時点では)あまりなかったのではないかと思っている。

※補足:各時代の『四巻の書』内の記述としては「大目」「大め」「大メ」とある。この言葉は文中から取り出され弓道語化し、なんだかすごそうに「だいもく」と呼ばれ出した。これは弓道語としてハクをつけるための呼びかたであり、まずそれ以上の理由はない。

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◆「相剋」(相尅)について

いうまでもなく、読みは昔から「そうこく」である。全日本弓道連盟「射法訓」内、これに「あいこく」とルビがあるのはなぜだろう。ただ、夏目漱石の小説など一部にこのルビが存在することから、明治末より大正までの一時期、この「あいこくする」といった話語が一般的に一部主導権を得ていたのではないか。もしかすると当時、「愛国」という言語りに耳慣れていた結果なのかもしれない。この時代に青春を過ごしたものが大成した時代の顛末とみている。

※補足:そもそもこの掲示用「射法訓」は文語調であるのに現代かなづかいなのでかっこがつかない。「従ひ」「出づる」としたほうがいいと思う。

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◆「五輪の書」(宮本武蔵)と「四巻の書」(竹林坊)

私がこの2つを近づけて想うにいたった類似点は以下。
・武道の善書とされる。
・生まれた時代が近い。
・いわゆる「文章の上手い」書ではない(専門家ではないので当然だが)。
・本人が書いていない(本人の名を上げて伝えることに現在すでに誤りとはなっていない)。

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※2018年3月、書影変更のついでに補足など一部追記しました。







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# by otherpost | 2018-02-22 19:30 | 四巻の書 | Comments(0)

弓道における「礼記射義」の本体について

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戦後、日本の弓道界が正面に掲げた「礼記射義」(らいきしゃぎ)の内容は、そのまま見れば「礼記」第46編「射義」からのただの抜粋である。


(しゃ)進退(しんたい)周還(しゅうせん)(かなら)(れい)(あた)り、(うち)(こころざし)(ただ)しく、外体(そとたい)(なお)くして、(しか)(のち)弓矢(ゆみや)()ること審固(しんこ)なり. 弓矢(ゆみや)()ること審固(しんこ)にして、(しか)(のち)()って(あた)ると()うべし.これ()って徳行(とくこう)()るべし.

(しゃ)(じん)(みち)なり. (しゃ)(ただ)しきを(おのれ)(もと)む. (おのれ)(ただ)しくして(しこう)して(のち)(はっ)す. (はっ)して(あた)らざるときは、(すなわ)(おのれ)()(もの)(うら)みず. (かえ)ってこれを(おのれ)(もと)むるのみ.



「これは大事な部分を抜き出しているのだ」という意見をよく耳にするが、それでは「射義」の他の部分はなにかしら劣るという意味にも捉えられかねない。また、抄出である以上、象徴として掲げるには中途半端である。

そもそもどうしてこの部分が抜粋されているのだろうか。その答えとなるのが、江戸時代、日本の弓道に多大な影響をあたえた中国の書物の存在だ。明代の高穎(こうえい)という人による以下の書である。


武経射学正宗/ぶきょうしゃがくせいそう ※以下「射学正宗」と略す
武経射学正宗指迷集/ぶきょうしゃがくせいそうしめいしゅう ※以下「指迷集」と略す


高穎は射学入門として「射学正宗」(上:捷径門・中:弁惑門・下:択物門)を書き、続いてその指標として「指迷集」(序・巻一・巻二・巻三・巻四・巻五)を書いた。これらは1637年に中国で刊行されたが、現在の中国国内にはその痕跡さえ残っていない。

日本では1780年に「射学正宗」が全2冊で刊行され、1785年に「指迷集」が全2冊で刊行された。以下はその日本最初の「指迷集」である。


◆「武經射學正宗指迷集」一冊目(序・巻一・巻二)A B
◆「武經射學正宗指迷集」二冊目(巻三・巻四・巻五)A B


「礼記射義」の内容は、この水端「巻一」の第一条と第二条が基になっており、「礼記射義」はまさにこの書への入口として存在している。つまり「射法訓」の本体として「四巻の書」があるように、「指迷集」に寄り添い掲げられたのが、「礼記射義」なのである。



「指迷集」巻一/第一条 ※以下、かんたん訳

孔子が矍相の地の畑で射る。見物人はとても多かった。その時孔子は孝弟忠信の道を説き、そして身を修めて学を好む筋道を説いた。また、別の日にはこう説いた。この射の筋道をもって戦をすれば敵なく、これを民にもてばよく治められると。

射はまさに一技である。孔子の述べた「孝弟忠信の身を修め、学を好む道をもつことでことごとく整う」とは一体どういうことだろう。射の道は外見はかんたんであっても、内側は細かに形動き神注ぐ。勇敢で鋭い技をもち、やわらかで、和やかで、落ち着いている、これが「孝弟忠信の道」なのではないか。二手に分かれて対峙したとしても、己に勝つ者を恨まず、我が身をかえりみて治め正そうとする、これを大事に思うことを求める。これを「身を修めて学を好む道」というのである。これを争いに用いて、その剛柔を並べ行なうのが仁の兵である。これに敵うものはない。これを民にもち、おだやかで正しいこと明らかであるのが礼儀の教えである。これが孔子の意とすることなのである。今、射の巧みな者がこの和らぎ睦まじい道を心にもてば、それが孝弟の行いである。この沈毅の道をもってその言葉を行なえば、それが忠信の友である。身に反する道を外れ、過ちを改めるならば、それが身を修めるのを好む士である。礼儀の教えを進め、兵を治め、民に臨んだならば、遠近すべてが悦びなつき、硬いものはほどける。国家がこのような者を得ることがはたして無益だろうか。



「指迷集」巻一/第二条 ※以下、かんたん訳

「礼記」にこうある。「射は進退めぐる全てにおいて礼にあたり、内は志正しく、外は体直くした結果、弓矢をはこぶことが審固になる。弓矢をはこぶこと審固であって、中ることを得る。これによる徳行を観るべきである」

射とは的に中てることである。しかし「進退めぐる全てにおいて礼にあたる」者の射は、心がそのまま技となる。射は並んで階をのぼり、階をくだり、左右めぐる全てにおいて一礼し、杯の礼が設けてあるわけであるから、その体裁をあがめ、神としてのその志を定めることが射というべきだろう。よって必ず「射は進退めぐる全てにおいて礼にあたる」でなければならないのである。

射は必ず「内志正しくした後に、弓矢をはこぶこと」でなければならない。また「外体直くした結果、弓矢をはこぶこと」が大事である。この二つの射中の妙法は、いつの世も変わることはない。それにもかかわらず、現代の者は努めて心の向かうところ正しくしようとはしているが、体直くして弓矢をはこぶ者はとても少ない。なぜならば、このことは書や文において未だに解説がないからであり、それゆえに、のちの世がこれを知ることもなかったのである。もちろん、古来の弓の名人がこれを人に示すものも残っていない。

結果「体直く」に対しては、まっすぐ立つことをいう者や、あるいは左のヒジから先を伸ばすことをいう者がある。これらはみな「体直く」の一つではあるが、その本質ではない。まっすぐ立つことは、ただ体の外形がまっすぐであるだけである。これでは弓矢をはこぶことにおいてなんの益もない。これが果たして「堅固」であろうか。左のヒジから先を伸ばすことを「直」とするものは、まさにそれが満ちる頃にはヒジの力尽き、必然としてふるえる。これでは「弓矢をはこぶこと固し」にはならない。

そもそも直というのは身を直くすることと、ヒジを捻ることにある。直の根本は左肩にあり、左肩を直にせず、悪戯に左ヒジを直にするのでは、根本なき直である。弓を引いて満ちる頃、左肩がそのまま上がってしまっては骨節に合わず、直にはならない。こういった次第であるので、肩を直する法はのちに記す「弓工の妻」の章と、入門「射学正宗」捷径門・弁惑門の郊射の章に詳しく書いた。

弓を引くことはこのようなものであるが、左右の肩とヒジの力を合わせ凝結して一片となり、平直であること平衡である。これが「外体直なり」なのである。体直にして弓を引く者は、矢尻が握りの中ほどに来たとき、左肩は下から上に達して左拳に送る、右ヒジは水流れ落ちるようにして、おもむろに矢は発す。狙いをつけるに高くも低くも自由である。まさに「弓矢をはこぶこと審固」なのである。これにより「中ることを得る」のである。養いたくわえるその様な者は、必ず心をつくして学を好み、礼儀を楽しみ、和平、恭慶、心の向かうところ正しくする。ゆえに「これもって徳行を見るべし」という。このことは雑録四の巻の或門第八章と併せて読まれたい。これにより体直の全法を得るだろう。




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来月は護国神社で、再来月は明治神宮で神事の矢を射る。
一方は十五間よりずっと近く、一方は十五間よりずっと遠い。
距離と矢根の異なる実際としてあらためて流派弓事はありがたいと思う。










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# by otherpost | 2016-09-25 23:37 | 四巻の書 | Comments(0)

ガロ展と唐貴展

小樽文学館
「編集者・長井勝一没後20年 『ガロ』と北海道のマンガ家たち展」Twitter

会期:2016年9月3日(土)~10月23日(日)

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 ガロ通巻ほか貴重な白土三平表紙本を展示します


倉敷市立美術館
「没後30年・岡本唐貴」
松川事件元被告描いた水彩画 洋画家・岡本唐貴作、確実に 倉敷市立美術館が調査

会期:2016年9月10日(土)~10月16日(日)、10月29日(土)~12月18日(日)



  


  

  

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# by otherpost | 2016-08-22 23:49 | 白土作品 | Comments(0)

ユニクロカスタマイズで長袖シャツ作りました。

c0122226_22191478.jpg注文デザイン
c0122226_22193099.jpg元のイラスト
c0122226_22475537.jpg完成品
c0122226_22194630.jpg完成品
c0122226_22195594.jpg完成品
製作費3,650円(税込)
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# by otherpost | 2015-10-04 23:21 | その他 | Comments(1)

"Lotus Flower" gentle voices from tibet

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# by otherpost | 2014-05-06 04:01 | その他 | Comments(0)

『四巻の書-弓道の原点』 (2014年4月8日発売/1500円)

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※「月刊弓道」2014年5月号 掲載


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※「月刊武道」2014年5月号 掲載


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※書影 朔日さんのツイートより拝借



アマゾン楽天などネットの主要なところは現在売りきれ状態になっています。
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# by otherpost | 2014-05-05 23:00 | 四巻の書 | Comments(0)

「日置流射形本書之序に見えたる円覚文」 序文  本多利実 (本多流流祖)

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以下序文になります
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日置流が的前の開祖であることは、弓を練る者皆知らぬもの無いのである。

中古射を学ぶものは武士はもちろんのこと、その学者であると神職たると僧侶たるとに論なく皆その流を汲まぬ者はないのである。

とりわけ武人の中には禅学などに志す者が多かったために、禅宗との交際も多く自然高僧の感化を受くることも少なくなかったかのように思わる。

ことに鎌倉足利時代においては、学問といえばたいてい僧侶の専有物のように考えられたる世の中であったのである。

少しく高尚なる真理はこれら僧侶の説明をまたなければならぬのである。

されば日置弾正も弓道の真理を究めんがためには仏教を修めねばならぬことを知りて、中年にして真言宗に帰依し高野山の僧として仏教の力を借りてきて弓道の真理を説明しようと試みたのである。

けだしこれは日置が大に成功した原因の一つでもあろうと思わる。

左様なわけであるからその本書の中にも仏教の言葉がたくさん出て、その数ある仏語の中には余程むつかしいものもあるのである。

さればこの本書の註解を加うる者も一通りの学者では到底なしえなかったように思わる。

これがすなわち吉田が日置の直伝と称しながらその真理はかえってその傍系の竹林派によりて闡明せられた一つの証據である。

竹林派祖師竹林坊如成は同じく真言宗の僧でありながら日置の残せる弓道を遺憾なく研究練磨してますます流租の名を高らしめたのである。

さればその後弓道の真理を討究するものは多く竹林派より出でたのである。

ゆえに今日に至りて日置流というも竹林派というも更にその区別を見ないようになったのである。

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※以降続きますが、続きの本文の公開は今のところ未定です。











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# by otherpost | 2014-05-01 14:42 | 四巻の書 | Comments(0)