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竹の階段

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存在しない菊理媛神について

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数年前、菊理媛神(くくりひめかみ)の姿について少し調べたことがある。
その鱗片が以下のコラム。


【Celebration】菊理媛神(ククリヒメノカミ) by Umi
(意識は他物にも移るもので、この勢いを引きずり書いたのが以前の投稿であった)


そもそもみなさん菊理媛神が存在するという前提で語っているわけだから
「謎が多い女神」とか「どんな姿の神様か」という話になる。

イザナミの発した発言を指しての「菊理」という文字の研究でないと
イザナミ発言の価値がそがれてしまう。

イザナギがよくもわからない別の言葉を善しとして立ち去ることこそに
疑問をもつべきではないだろうか。

納得するは真理を得るとは無関係である。ただ納得は人を解放してくれる。
その後、「わかった気」の先入観は成長、追究を留まらせるのである。



イザナミ(媛神)の心を会得してイザナギは去った。
物語上、それだけのことであろう。

宇宙とは完全が展開している今の流れである。
記憶は常に今から今にむかい構築される。
構築をやめたとき、記憶は消える。

人間であればこの世界は人間の記憶が構築し、
それが私であれば、この世界は私の記憶からの反応が引き起こしている。
過去の遺物と定義されうるものも今あるものをもって記憶の補完となる。

その上で新たな思考反応は、流れに寄り添う。その流れが宇宙である。
この目前にあらわれている仕組みそのものである。

思い出すというのは構築する作業である。
構築をやめれば、世界は自由に輝く。

世界は流れている。彼は迷い故に諭された。
安心の中にいるものが安心を求めようか。
生死は心残し捕らわれるものではなく「在るものだ」という、
絶対死中にいる彼女の理(すじみち)たる心をうけ(ウク)て
または解釈としてその九九(最大数)の理によって
彼(イザナギ)の宇宙は解放されたのである。


これは現状独論だと思っていたが、そうでもなかったようだ。
素直な結論は、現在ウィキペディア「菊理媛神」項に追加されている以下の資料にもあった。

「垂加神道」上巻(井上哲次郎,上田萬年/1935年/春陽堂)
(ただこの資料は一部解釈に新しいキクの音を使ってしまっている)


「縁結びの神」なんていう存在の構築が助長する
とらぬたぬきのたぬざんようは無意味だというお話でした。

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※「時代別国語大辞典上代編」(澤瀉久孝/上代語辞典編修委員会/三省堂)より


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※誤解している人が多いので追記すると、もちろん信仰があるわけですから空海と同じでその土地に集合思念としてはおります。










by otherpost | 2018-04-25 22:20 | その他