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竹の階段

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過分

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「女子弓界の負荷は大なり」宇野 要三郎(弓道範士十段)

私はかつてニューヨークにあり、友人三人と道を散歩していた時のことであった。突然背後から私を抜き飛ばすようにして、前方に行き過ぎた米国婦人があった。狭い道であったから横から通り抜けられないとしても、日本婦人であれば必ずや相当の態度と、儀礼と、方法をもって円満にこの場合に処したことを私は疑わない。想うに当時あくまで思い上がっていた米国女性。今もなお互譲、正義の何ものたるかをもわきまえぬ彼ら女性は、もとより弓を知らない、足踏、胴造りも解さない、果然天譴は下りつつあるが。

由来日本の女性は家庭における一方的な消費者で、古来ほとんど生産面に大きく活躍する機会に恵まれなかったのである。これにおいてか忍従にしてよく困苦にたえ、良心的な内省に鋭敏で慈愛に富み、挙措優雅で子女を慈しみ、夫に内顧の憂いなかしめたのであるが、臨機応変の果断と気迫に欠けるうらみがあった。今日すでに決戦態勢の整備に、銃後生産陣の強化に進出し、有髯男子の職域の一部を代行し、みずからの力によって国家奉仕の女性の分野を打開し、大戦の完勝を確信して雄々しく起こったのであるから、従来の引っ込み思案と歯切れの悪い態度とを清算し、撃ちてし止まんの気迫を養わねばならない。

この点にたいして、動く相手に処する他の武道は、その気迫においても相手によりて誘発される場合はあるが、動かぬ的に対する気迫は、ことごとく自家内心から爆発する気迫で、真に気迫を養わんとすれば弓を第一に推すごときであると、弓人にして後に剣を学んだ人から聞いたことがある。女性はよくこの理をわきまえ、この気迫を内に蔵して後にほかに処してもらいたい。すなわち冒すべからざる威厳と気迫を柔和な外容につつみ、外柔内剛、不屈不撓の信念に燃える伝統的な日本婦人でありたいのである。

最後になお一つ殊に留意すべき問題がある。それは弓を引くときと家庭にいるときと、同一な心事と態度でなければならないことである。道場と家庭とを同一化し、弓道的生活を具現しなければならない。これは女性として最も肝要なことで、道場通いや弓を稽古するために家庭をかえりみないというごときことが多少でもあるとしたならば、それは弓引きの風上どころか風下にも置けない女性である。彼は女の弓引きだと隣組から指弾されることは弓界の一大恥辱である。

※「日本の弓道」(1943年11月発行)より引用抜粋


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性別によって行動の貴賎を判断する時代があった。
我が意に沿わぬ存在を恨み、我が意に沿わぬ存在を恥とする。
現在でも日本の武徳が許容する一面とみる。


ここで"恥辱"とされている行動を生涯立派に成し遂げた戦後弓道界巨星の言葉が残された。
「多くの過ちを犯してきた私には、過去を振り返ることによって、私の進むべき未来への道筋が示されている」
それでも人に求める心を自らに求めたいものである。
鴨川範士十段、享年95。ご冥福をお祈りしたい。












by otherpost | 2019-03-26 08:19 | 弓道